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第22話 穏やかな世界
いったいなにがあったんだろうか、と億泰は悩む。
リビングのテーブルで香澄に勉強を教わっている今も疑問は億泰の頭を支配し、集中できなくさせる。
ちろりと横目で盗み見た香澄の表情は以前よりもずっと明るくなったように思える。
そこに買い物から帰宅してきた形兆が歩み寄ってくる気配がすれば、もう、勉強のことなど頭からふっとぶ。
形兆は表情はいつも通りに、香澄と億泰の間に割り込むようにして宿題を覗き込んだ。
「はかどってるか」
「あ、お帰りなさい虹村くん! いまは億泰くんとお勉強中です」
「全然進んでねぇじゃねえか」
二人のプリントをみた形兆が眉をしかめる。香澄の宿題も難解らしく、ノートには悩みの痕が見える。
「あれ? 虹村くん、肩にごみくずついてるよ」
「ム……とれたか?」
「えっと、反対側! とっていい?」
「頼む」
形兆が身を屈めて肩を香澄に差し出す。香澄は立ち上がって形兆の肩に手を伸ばした。
「……ん、とれたよ」
「悪いな。って、お前顔にまつげついてんぞ」
「えっどこ?」
「もっと右側……そこじゃねぇって。ああもう」
じれた形兆が香澄の顎を掴んだ。もう片方の手を香澄に伸ばす。
わざわざ顎を掴んで退路を絶つのは、スタンド使いとしての戦闘経験のたまものだろうか。
いったいなにがあったんだろうか――と最近の億泰はそればかり考えている。
誕生日以来、形兆の態度は目に見えて変わった。
無視し続けていた香澄の存在に気を払うようになり、気遣うようになる。遠ざけていた香澄に接近を許し、そばにいたがるような反応を示すようになったのだ。
まつげをとって満足げに頬をつり上げた形兆は、はっとしたように香澄から身を離した。
「まつげぐらいてめーでとれ」
「う、うん、ゴメンネ」
手のひらを返すような変化に、形兆自身は抵抗があるらしいのだ。時おり、はっと我に返ったように距離を取る。
香澄に背を向けた形兆は片手で口元を覆った。その頬は自分への怒りゆえか赤い。億泰はあわてて話題を変えた。
「きょっ今日のメシはなんなんだっ!? 兄貴?!」
「今日は鯖煮……いやっピーマンの炒めものだ。今決めた」
「エッ!? わ、わたしがピーマン苦手なの知ってるくせに……!」
批難の声が香澄から上がる。億泰も同意見だ。こくこくとうなずく。
形兆はフンと鼻を鳴らすと、本来の自分を取り戻すように威圧的に顎をあげた。蔑むような笑みを浮かべる。
「知らねぇな、そんなもん」
「……っ。どうしてそんな声、だすのよう」
目を開いた香澄はみるみるうちに顔を赤らめ、テーブルに顔を伏せてしまった。耳を押さえる手と髪の毛で表情はわからないが、億泰は確信した。
「あーっ!! 兄貴、香澄泣かしたー!!」
「な、泣いてねえだろそいつ」
「だから反則だって〜……」
「泣いてんじゃねーかァ!!」
「わ、わたし泣いてないよ、びっくりしちゃっただけで」
「びっくりさせてんじゃねーかよぉ!」
「もうそれ言いがかりだぞ…うおっ」
億泰は憤慨して形兆にくってかかった。しかし、鼻息を荒くして怒る億泰自信にも、以前のような張りつめた空気がないことはわかっている。
つらければ、香澄は笑顔で耐えてだろうからだ。
「そうだ。今日はわたしが作ろうか? ピーマン食べたくないしさ。あはは」
「おれも香澄のりょーりくいてえ」
「お前らピーマンほんと嫌いなのな」
「だって、思い切り苦い味付けにしそうなんだもの。虹村くん」
「しょーがねぇな」
形兆は溜め息を吐いてまだ冷蔵庫にしまっていなかった食材を袋ごと香澄に差し出す。
香澄は嬉しそうに受け取り、台所へと駆けていった。「失礼します」と呟いて冷蔵庫の中身を物色し始める香澄を、形兆はじっと眺めている。
億泰はつくづく今までと違うな、と感心すらする思いだった。
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